私が42歳の時、友人から気の先生だということで50代後半の女性を紹介していただきました。
私は簡単な自己紹介の後に、すぐさま「弟子にしてください」と嘆願しました。
それはまだその先生の事なんか何にも解って無かったのに、反射的に出た言葉でした。
何かをその時に直感的に感じ取っていたのかもしれませんし、気と言うものに興味があったのも事実です。
それにしても、何かに突き動かされたかよくわかりませんが摩訶不思議な出来事でした。
その後、毎週のように先生の開いている気功教室なる所に通うようになりました。
後で解った事ですが、ここの教室は他の気功教室とは全く違ってまして、一つの型を永遠と繰り返し行うというようなことはしません。
あらゆる型をここでは習う事になるわけですが、そのすべてが気の流れをを意識して行うというものでした。
ですので型よりも、意識によって生じる気を全身で感じとる事に重きを置いていました。
ただし気の流れを意識するというのは結構しんどいことでして、なかなか体で理解することが出来ません。
結果、多くの生徒達は型を覚え、それをただ繰り返し行っていました。
それでも数十種類の型を教わりましたから、それをすべて覚えるのだって大変なことでした。
気の流れやすい体に変身
私は独学で気の流れやすい体を作るにはどうしたらいいんだろうかと、日夜考えていました。
気の流れが良くなれば自己治癒力が格段に上がり、ちょっとした体の不調も自分で癒せるんじゃないかと思ったからです。
そして最初に思いついたのが、下丹田に常に意識を置くことが良いんじゃないかと考え、思いついたときなどにその事の意識するようにしてました。
ただしこのことを2年程実行してきましたが、満足のいく結果は得られませんでした。
次に考えたのが斜め下の方に意識を置く事でした。
これは善を組むときに利用する方法だという方が居ましたので、それを普段の生活の中に取り入れました。
そしてさらに2年程たったある日の事でした。
今までは意識というもので色々と考えて実行してきましたが、それとは正反対の無意識に入った瞬間がありました。
その時です。
全身の力が抜けたの覚えたのです。
背中もお腹も内臓もです。
そして気の流れやすい体とはこういうものかと感じたのです。
それ以来は、気功教室で習う型も力ではなく意識で体を動かすことが出来るようになりました。
気の流れを意識するとはこういうことだという事がはっきりと解ったのです。
今では先生も高齢になり教室は閉鎖され、型を練習することは無くなりました。
ただし型は気を感じる為の方法でしかないので、それが解ってしまえば何もする必要などありません。
もはや体質も心の置き場も長い年月の修行でだいぶ変わりました。
気の流れやすい体を手に入れた私ですが、怒りというものが無くなりましたし、死への潔さみたいなものも手に入れました。
正に「気と共に」です。
これが私と気との出会いです。
最後に一言「無、無、無」